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【閲覧注意】人魚の死体。これは美人だわ

人魚1




















人魚の死体の中ではまだ美人なほうとされる1体。ブルガリア。[5]images
※ 関連 :【閲覧注意】人魚の死体ってなんでこんなグロイのばっかなの?
 


人魚2



















人魚3


















人魚4

























人魚5

















人魚6



















コメント一覧
 

名無しさん October 24, 2014 14:18
へぇ~~@@人魚っているんやー!


名無しさん October 24, 2014 14:27
よくできてんなー


名無しさん October 24, 2014 14:29
あるよな。。。膝。


名無しさん October 24, 2014 14:30
宇宙人とか人魚とか全部フェイクで面白くない


名無しさん October 24, 2014 14:37
良くできました◎


名無しさん October 24, 2014 14:37
こういうの一生懸命造ってるバカの気持ちは理解できない。



名無しさん October 24, 2014 14:58
むしろ芸術作品としてアリだろ


名無しさん October 24, 2014 15:02
なんだろう。こういうのを見てもほんとに人魚っているんだ!なんて思えなくなってる自分がいる。人がちぎれて死んでる映像や生首かずらりとならべられた紛争地域の映像とかはなんの疑いももたないのに。


名無しさん October 24, 2014 15:03
>>18
芸術作品に偽物だろ
とマジレスw


名無しさん October 24, 2014 15:06
夢があるね


名無しさん October 24, 2014 15:07
※17 噛み切られんぞ!


名無しさん October 24, 2014 15:14
鱗の書き方雑だな(笑)


名無しさん October 24, 2014 15:16
まだ偽物とか思ってる人がいるけど、釣りですよね?


名無しさん October 24, 2014 15:25
尾ヒレが綺麗だね
水中に舞う姿がたまらないよ


名無しさん October 24, 2014 15:29
どこの秘宝館?


名無しさん October 24, 2014 15:33
作品としては良く出来ていて素晴らしいですね
ただ下半身が魚のようにまで変化しているのに、上半身が人間に近すぎるので、現実感がないのよね


名無しさん October 24, 2014 15:34
生臭そう
上半身が魚で下半身が女性のマグロがいいな


名無しさん October 24, 2014 15:38
これはたぶん人の形をした魚に見えるけど人魚だと思う


名無しさん October 24, 2014 15:42
人魚ってほんとに実在してたんだ。
知らなかった。


名無しさん October 24, 2014 15:45
よく作るよなあこういうの・・・。
まあCGだけじゃなく特殊メイクの類も物凄い進化してるし
是非ガチで気絶者続出するほどのお化け屋敷(モンスター屋敷?)とか作って欲しいもんだね。
気絶以前に失禁で大変なことになりそうだけど。


名無しさん October 24, 2014 15:49
膝っぽい関節があるのはまぁいいけどさ、
足首あたりから先が長すぎるよwww


名無しさん October 24, 2014 17:26
これを作る工程TVで最近みましたよ


名無しさん October 24, 2014 17:27
これが、本当なら
大ニュースだろ
よって、フェイク決定
今まで見た、人魚の中ではかなり巨大だな


名無しさん October 24, 2014 17:30
3枚目で尻尾の先に赤ちゃん?絡み付いてるのはなんだ?
崖の上のポニョかな?


名無しさん October 24, 2014 17:31
大蛇 にのまれた人なら、納得出来るけど


名無しさん October 24, 2014 17:55
臭そう


名無しさん October 24, 2014 18:01
なんで、パイレーツオブカリビアンの人魚を本当にいるとおもってんの?
これ、偽物な


名無しさん October 24, 2014 18:02
この後、おいしくいただきました。


参考

これは人魚のミイラなのか、高野山の麓に安置される「ミステリー」の正体は…近江国「人魚伝説」と絡み合う秘話

http://www.sankei.com/west/news/140829/wst1408290008-n1.html

人魚のミイラ















サルと魚が合体?奇怪な姿をした「人魚のミイラ」=和歌山県橋本市


人魚のミイラ0















「人魚のミイラ」などが安置されている学文路苅萱堂

来年、開創1200年を迎える「高野山」(和歌山県高野町)の麓にあるお堂で、「人魚のミイラ」が安置されている。全長約60センチで、歯がむき出しの不気味な表情に、胸びれやうろこのある魚の姿をした下半身はちょっと恐ろしささえも感じる。「サルと魚を合体して職人が作った」「1400年前の推古天皇の時代に捕えられた」などの諸説が伝わるが、すべてはミステリーに包まれている。しかし、高野山の庶民信仰を伝える貴重な歴史資料として、県有形民俗文化財になっている。(成瀬欣央)


人魚のミイラ2


















人魚のミイラについて話す岩橋さん          
人魚のミイラ3
学術的な裏付けはないが、彫刻ではない
 人魚のミイラがあるのは、高野山への参詣道の一つ「不動坂道」の登り口にある西光寺の学(か)文(む)路(ろ)苅(かる)萱(かや)堂(橋本市学文路)。

 縁起によると、かつては「如(にょ)意(い)珠(しゅ)山(ざん)能(のう)満(まん)院(いん)」と呼ばれていたが、元文5(1740)年に仁徳寺と改称。昭和の末には廃寺になりかけていたが、地元住民らでつくる「学文路苅萱堂保存会」が平成4年に修復し、現在は隣の西光寺が管理している。

 学文路苅萱堂の正面に鎮座するのは、仏像ではなく数珠を手にした3体の親子の木の坐像と、1体の小さな像。「再建するまではほこりをかぶっていたけど、妙にひかれるものがあった」と保存会会長の岩橋哲也さん(84)は振り返る。


 人魚のミイラは向かって右端の坐像の女性「千(ち)里(さと)ノ前(まえ)」の持ち物とされ、像の前の厨(ず)子(し)に安置されている。よく見ると、木を彫った彫刻ではないことがわかる。学術的な裏付けがないので断定はできないが、確かにミイラのようにも見える。







墓標の竹杖から芽が出たとされる「石童丸御杖の銘竹」
人魚のミイラ4

 すると、岩橋さんは「ここが江戸時代中期に高野山の最初の名所と呼ばれるようになったのは、高野山の僧侶が全国に広めた悲しい親子の情愛の物語があるんです」と語りだした。


高野聖が伝えた「悲しい親子の情愛物語」

 高野山には、平安時代から諸国を旅しながら仏教の教義を物語で庶民に分かりやすく伝えて布教や寄付金を集めた僧「高野聖」がいた。その物語のひとつ、苅萱道(どう)心(しん)と石(いし)童(どう)丸(まる)の物語は江戸初期に説教節、謡曲、浄瑠璃となって音曲好きの庶民に広く親しまれた。

 物語は、平安時代末期、筑紫国(現在の福岡県)の領主が、側室・千里ノ前に嫉妬する本妻の姿を見て、出家を決意。高野山で修行の日々に入り、苅萱道心と呼ばれるようになった。

一方、千里ノ前は播磨国(現在の兵庫県)に移って石童丸を産むが、苅萱道心はそのことを知るよしもなかった。

 石童丸が14歳のころ、母の千里ノ前とともに、父が出家したという高野山に向かった。しかし、当時の高野山は女人禁制。石童丸は千里ノ前を学文路の宿に残し、一人で山を登り父の行方を探した。

 苅萱道心は石童丸と出会い身の上話を聞くと自分が父であることを悟るが、世を捨て仏道に励む修行中の身。親とは名乗らず、「尋ね人は亡くなった」と母のもとへ帰してしまう。
山を下りた石童丸を待っていたのは長旅で急病となり、亡くなった千里ノ前の姿だった。悲しみに暮れる石童丸は母を学文路で葬り、再び高野山へ登り苅萱道心に弟子入りを願う。苅萱道心は親子の縁の深さ、仏の導きを感じながらも、生涯親子の名乗りはしなかったという。

人魚のミイラ5
















願いを叶える石と伝わる「夜光の玉」


異様な存在感なのに県文化財

 江戸時代半ばごろには、この物語は広く語られ、高野山へお参りする折には学文路で一泊するのが通例になったという。

 学文路苅萱堂には、この物語のゆかりの品が多数伝わり、県指定有形民俗文化財が32点もある。

 人魚のミイラもその一つで、他にも願いをかなえる石として苅萱道心の父が子供を授かるよう祈った「夜光の玉」、石童丸が千里ノ前の墓標代わりに竹杖を立てたところ芽が出て実を結んだとされる「石童丸御(み)杖(つえ)の銘竹」などがある。お堂にある苅萱道心、石童丸、千里ノ前の坐像も県指定文化財だ。

 県教委は「謎めいた説教用具もあるが、いずれも異様な存在感を持つものだけに、奇怪なものへの興味と高野聖の巧みな唱導によって、参詣者が苅萱物語の世界に誘われた。高野山信仰を高めていった様子を彷(ほう)彿(ふつ)とさせる」と説明する。

近江国に伝わる“人魚伝説”が流れてきた?

 人魚のミイラを納めた木箱のふたには、『日本書紀』と記されている。

 日本書紀には、推古天皇27(619)年4月の項に、近江国(現在の滋賀県)からの報告として「蒲生河に物有り。其の形人の如し」と記載されている。蒲生川(現在の佐久良川)で、人のような形をしたものが捕まえられたという。それがミイラとなり、近江国出身の千里ノ前に受け継がれ、高野山の麓まで伝わったとされる。

滋賀県には、ほかにも“人魚伝説”が残されている。聖徳太子が人魚の願いにより開いたと伝えられる近江八幡市の観(かん)音(のん)正(しょう)寺(じ)、東近江市の願(がん)成(じょう)寺(じ)には美しい尼僧を慕った人魚のミイラが伝わり、実は3きょうだいだったという説もある。 また、江戸時代にはサルと魚を合わせて人魚のミイラを作る職人がいたといい、大英博物館には日本製の人魚のミイラが所蔵されている。

信仰の対象として現代に語り継ぐ

 願成寺の松尾徹裕住職(53)は「人魚のミイラはグロテスクな顔をしており、夜に泣きだすとか不幸が訪れるなど良いイメージはありません。人魚は妖怪であり怖い存在。お寺がその魂を鎮めるために安置しています」と話す。

 一方、岩橋さんは「人魚は古くから不老長寿、無病息災を願う信仰の対象だった。『心配ごとや願い事があるなら打ち明けてください』と言っているかのような表情をしている」と話す。

 岩橋さんは石童丸の物語を本にし、それを原作にした地元のアマチュア劇団がオペラ劇を上演した。小学生らに親子の情愛の話として紹介するなど学文路苅萱堂の再建だけでなく、伝えられてきた物語の心の継承にも尽力している。

 「高野山が語り継いできた素晴らしい石童丸の物語を絶やさないよう、伝えていくことに生きがいを感じる。『人魚のミイラを見に行ってみよう』でいいんです。でも来た人には必ず石童丸の物語を話します。すると、ミイラも3体の親子の坐像もねぎらいの表情をしてくれるんですよ」

 穏やかな表情で目を細める岩橋さんは徳の高い僧侶のようだった。




民族学者の仕事場:Vol.4 近藤雅樹―「人魚のミイラ」―標本資料の真贋(しんがん)


「人魚のミイラ」─ 標本資料の真贋(しんがん)

近藤 「お化け・妖怪・幽霊・・・」のときに、ぼくなりの結論としてだした答えはこうでした。「これが生け捕りにされた人魚の絵だ」といって瓦版や浮世絵などで出回っていた絵だったら、博物館でも資料として扱われているんです。ところが、立体的な造形物になると扱われないでいるのはなぜなのか。おかしい。扱っていいじゃないか。どちらも妖怪のイメージを具象化した作品なんだから、とね。で、こうしたつくりものも博物館で展示してみたいと思ったんです。

─ 「人魚のミイラ」は、どこからもってきたんですか。

近藤 和歌山県の橋本市。高野山の麓の参道に「刈萱堂(かるかやどう)」っていう、小さなお堂があるんですよ。「石童丸(いしどうまる)縁起」の舞台になっているところです。そこでは、高野山詣でをする人たちを相手に絵説きをやっていたんです。出家して高野山に入った刈萱道心(加藤左護衛門尉繁氏)の家族が訪ねてくるという内容のね。でも、女人禁制だから、おさない石童丸だけが父に会いに行くという・・・。
悲しい物語なんですけど、それを、掛け軸を開いて見せるという普通の絵解きじゃなくて、立体的な造形物をならべて語り聞かせていたんですよ。その中のひとつに、石童丸の母親の千里御前が肌身離さず大切にもっていたという「人魚のミイラ」というのが伝わっていたんです。平安時代に近江の蒲生川で生け捕りにされたものだという由緒書きまであった。見世物というか、信仰の対象だったんですね。

─ それを出品した・・・。

近藤 そうです。お借りして、いつもは重要文化財を入れる密閉式の一番上等なケースに入れて展示した(笑)。そしたら、某テレビ局が深夜番組で取り上げてくれたんですよね。次の日は、客層がいつもとはまったく違う(笑)。普段の展覧会ではめったに見かけることがない中学生や高校生たちが、ぞろぞろと列をなしてやってきた。それも、カメラを提げてね(笑)。みんな、昨夜テレビで紹介されたばかりの「人魚のミイラ」が目当てだった。
 
※人魚のミイラ〈『大妖怪展』朝日新聞社 2000年〉より
人魚のミイラ6








 





─ なんとまあ(笑)。

近藤 その展覧会には、冷ややかな見方もありましたし、博物館関係者の中には、ぎょっとした人たちも多かったようですけどね。でも、その後から、そのミイラに限らず、今までいかがわしいと思われていたつくりものが、けっこう、あっちこっちの博物館の展示で引っ張りダコになったんですよね。

─ そうか。たしかに、博物館の標本資料は、まず真贋が問題になりますよね。いつどこで作られたかが、たえず問題になる。そうすると、お化け、妖怪、幽霊などというのは、最初から展覧会として成立する余地なんて、ありえないと思われていたわけですよね。
 
※龍〈『大妖怪展』朝日新聞社 2000年〉より
竜












近藤 小松和彦さんからお借りした「呪いの藁人形」や、但馬の大生部兵主(おおいくべひょうず)神社に神宝として伝えられていた「天狗の牙」とかも並べました。心の中の「あの世」というのか、異界というもののイメージをどう形づくってきたのか、そのイメージをどう定着させようとしてきたのか。現実の人間というのは、ベールをかぶった状態の社会に生きているんですよ。なんというかな、即物的に生きているんじゃなくて、三次元の空間の中に別のイメージを描きだしているんですね。そして、それを民俗社会の中で共有している。ある意味では自分をだましているんですよ。だから、何かを信じる。神を信じる、仏を信じるとか言っている。幽霊みたいなもの、霊魂を信じるというのも、そういうことだと思うんです。

─ この「河童の手」もミイラみたいに見えますね。これもつくりものですか? この「竜」もよくできているなあ。

近藤 「竜」には、大型の魚のうろこをはりつけているんですよ。銀色にかがやいていて、床の間飾りにしてもおかしくないくらいのできばえです。

─ こういうのは、作者不詳でしょうね。

近藤 ミイラつくりなんて、日陰の商売ですから(笑)。
ところがね、大阪市内の瑞龍寺からお借りした「河童のミイラ」と「竜」の奉納者は、ほぼわかっているんですよ。千利休と近しい人の一族だったということが。

─ ずいぶん、むかしですね。

近藤 1680年に奉納されたんですが、1878年と1975年に木箱を新調していたんですよ。で、中身を入れ替えたときに、新調した年月日と子孫の名前を箱書きにして残していた。
─ 大事にされていたんですね。
 

※河童のミイラ〈『大妖怪展』朝日新聞社 2000年〉より
河童 












他にもあります。人魚のミイラ・・・

http://www.po-kaki-to.com/archives/00940.html より

人魚のミイラ7









人魚のミイラ8




















人魚のミイラ9














人魚のミイラ10
















人魚のミイラ11













人魚のミイラ12














人魚のミイラ13



































人魚のミイラ14












人魚のミイラ15




















人魚のミイラ16







































更には人魚の死骸(?)まで・・・
http://www.po-kaki-to.com/archives/6555223.html より

人魚7




















人魚8















【UMA】海に出現した人魚?恐ろしい未確認生物





【UMA】未確認生物画像集(真偽不明)




UMA 【見てはいけない】衝撃生物の映像を集めてみた。2




怪奇ミステリー映像:超常現象部門、 謎の未確認生物部門


 

UMA 、UFO【見てはいけない】衝撃生物の映像を集めてみた。